本会代表理事の近藤祐介医師が、循環器領域の第一人者である、栗田隆志先生(近畿大学病院医学部・大学院医学研究科教授)をお招きして、ICD維持予防の歴史と展望をお聞きしております。
慢性心不全症例における植え込み型除細動器(ICD)の適応基準は現在、約20数年前のデータに依拠しています。当時から心不全治療薬の開発や心筋梗塞発生後の冠動脈再灌流療法など状況は多様に変化しました。なかでもICDの進歩は目覚ましいものがあり、我が国のNippon stormとJID-CADといった大規模登録研究のデータからは、ICDの心臓突然死の予防効果が示されています。
ICD一次予防の歴史
近藤代表(以下、近藤)
栗田先生がご経験されたICDの最初の症例についてお伺いしたいです。
栗田先生(以下、栗田)
最初の症例は拡張型心筋症です。 当時は除細動閾値(どれくらいのエネルギーで危険な不整脈が止められるか)の測定を行っていましたので、その値に影響の出そうな薬剤をすべて中止して手術に臨みました。ところが、その影響もあったのか、その患者さんが手術翌日に抜管した後にエレクトリカル・ストーム(1日に3回以上のICDの適切作動)になりました。心室頻拍が発生し、ショック治療で止まるのですが、数秒後にまた発作が発生しそれを繰り返す状況です。そのころは不整脈予防効果に優れた薬が使用できませんでしたので、大変な苦労をしながら治療にあたりました。気が付くとICDの電池の半分を使い切ってしまっていました。当時はICDの手術となると患者さんの管理が大変で数日は帰れないことを覚悟してました。
近藤)
想像を絶するご苦労をされていたと思います。ICDの植え込み手術が、いわゆる「内科の植込」になった経緯を教えていただけますか?
栗田)
国立循環器病研究センターは当時、心臓外科の先生の助けをかなり借りていたので移行は遅いほうでした。本体が小さくなり、one incision implantation(皮膚を切開する線が一つですむこと)により胸壁植え込みが可能なりました。つまり、通常のペースメーカーと同じ手技で植込みが可能になりましたが、循環器病センターではそのころでもまだ心臓外科の先生達にお願いをしていました。
その後、20年ほど前、徐々に循環器内科のほうに手技の主体を委譲してもらって、2000年頃から同センターでは循環器内科が植え込むようになりました。その頃は他施設ではもう循環器内科が植え込むようになっていました。特にICDをたくさん植込んでいる施設では循環器内科への移行が顕著でしたね。
近藤)
ICDが保険適応になったのは確か1996年だと思いますが、当時はまだ心臓外科が入れていたのですね。
栗田)
そうですね、開胸的植込みが必要でしたので、心臓外科の先生でなければ当初のICDの植込みは不可能でした。
近藤)
僕は2006年に医者になりました。CRTD(除細動器付き心臓再同期療法)が出るようになった時なので、ちょうどそういうのが出るよって庭野先生に教わっていた世代です。僕はICDがある段階で医者になっているんです。それでもやっぱり現状をみると、個人的には文化的にICDがよく日本に入ったなって思います。
栗田)
当時の日本は先進国の中では日本は経済力では米国に継ぐNo.2でした。それにもかかわらず、最先端治療においては日本だけ先進国に比べると遅れている、いわゆるデバイスラグが指摘されていました。
例えばもっとも効果が高いと言われているアミオダロン(特に静注薬)も10年以上導入が遅れましたし、新規機械の導入も遅れており、アメリカではすでにICDも次世代に更新されているのに、日本のためだけに旧世代のデバイス作成ラインの維持を依頼するといった状態もありました。
我が国での最初のICDの治験は40年ごろ前に第1世代のICDを用いて一度チャレンジされたのですが、聞くところによると、開胸など手術侵襲が大きいためか、効果が十分に証明されず、保険償還は見送られました。その後、機器の機能が進歩し、私が国立循環器病研究センターにスタッフとして勤務した1989年(だったと記憶していますが)に2回目の治験が開始されました。
97年にAVIDなどの臨床試験でICDの臨床的な効果が確認されたころから当時の不整脈専門の大先輩方が「何としても日本で使えるようにしなければ」と熱意をもって、直接米国のBoston本社に出かけて、直接日本への導入を交渉されました。
理由は不明ですが、当時アメリカではもう非開胸的な植え込みが始まろうとしていた時期だったんですけど、日本には開胸型の第2世代ICDが提供される契約となり、ようやく本格的な治験が再開されました。
第2世代のICDの治験でも先ほど申し上げたように術後の管理がいろいろと大変だったんですけども術後死亡はなく、ある程度良い効果が確認されて、そこで初めて保険償還という動きになりました。
近藤)
先人たちの大変なご尽力により、ICDでの治療が送らばせながら日本でも保険償還になりました。ICDは植え込んでからが、ある意味治療の始まりです。術後のサポートについてお伺いしたいと思います。具体的にはどういう風に術後のフォローアップをされていたのでしょうか?
栗田)
術直後は先ほど申し上げた通り、悪夢のようなエレクトリカル・ストームを経験してから、不整脈に効いていると思われる薬剤は中止せず、手術に臨みました。その後はそのような事態はかなり減ったと記憶しています。
外来のフォローアップですが、退院直後は基本的に毎月、発作がある程度安定していれば3か月後に来院いただいていました。もちろん、ショック治療があったらまずは来てもらうようにしていました。遠隔モニタリングなどありませんから、不定期の外来は患者さんの自覚症状にすべて依存していました。
近藤)
そのような状態ですと電池がどれくらいでなくなるのか、分からないですね……どう予測されていましたか。
栗田)
自然な電池消耗はある程度は推定できるのですが、ショックによる消費などもありますので、少なくとも3か月から半年に一度は必ずデバイスチェックをしました。人によっては毎月来てもらっていました。当時の古い機器は機械に保存されている履歴を呼び出しても、何月何日にどんな発作が起こったか分からないんです。「この期間に何回ショックが起こった」しか分からない。前回から差し引いて、「この前の外来以降、4回電気ショックが起きてるんだけど、いつごろか記憶はある?」ってずっと患者さんと記憶を辿っていくわけです。
だから4回ショックがあっても、1回のショックで止まった発作が4回あったのか、1つのエピソードで4回作動したのかよく分らないんです。だから、患者さんに問診してつきあわせていく。心内電位も残っていないので、適切なのか不適切作動なのかもわからないんですよ。だから患者さんにどんな症状だったのと聞いて作動の適切性を推定するといったことをしていました。本当に……もう大変でした。
近藤)
適切作動か不適切作動か、確かに分からないなかでも、先生の肌感覚でいうと適切作動と不適切作動は半々くらいでしたか?。当時は、致死的不整脈のデバイスの判断精度もまだまだ不十分であったと思われます。
栗田)
あの頃は不適切作動が多かったです。 まあ半々くらいかな。例えば「夜寝てる時に突然ドンッと来た」と患者さんが言われたら、これはもう適切作動だろうし、作動前にふーっと意識が遠のくような感じがあったとすれば、これも適切作動かなと推定できます。しかし、全く自覚症状もない時に突然ショックが来た、あるいは運動中に階段を上ってる時にドンと来た、というのは不適切作動と推定するしかない。
近藤)
僕が大学院生であった2010~14年ぐらいの間、精神科の先生にICD植え込み前に全員紹介してた時期がありました。その領域の問題って結構大変じゃないかと。
栗田)
患者さんへのサポートも大変ですでした。精神科医のマネみたいなこともずっとやってました。国立循環器病研究センターには精神科医がいないので、なにもかも全部自分でやってましたね。
近藤)
想像できない…。
栗田)
あの頃はナースのサポートもなくて、全部僕らドクターがやってたんです。患者さんにそういうこと(電気ショック)が起こった意義をしっかりと説いて、勇気づける・・・ 患者さんが多くなかったからできたんですけど。今ではとうてい無理ですね。
思い出深いのが、メキシコの大使館の職員の患者さんです。とてもナイーブな方で、ショックが起こるたびに本当に落ち込んで泣いてしまわれるんです。「これ(ICD)はあなたにとって最もよいお医者さんだ。ずっと寄り添ってくれるお医者さんはこれしかいない。僕があなたの横に24時間一緒にいるわけにいかない。これがあなたのベストドクターだと思って治療を続けてください」と言ったのを覚えてます。
近藤)
アメリカの話ですけど、心臓移植でICDを取り出した後に、ICDを拳銃で撃ったという患者さんがいたというのを聞いたことがあります。
栗田)
あれはすごい出来事でした。日本のご高名な先生が米国にいらっしゃったときに担当した患者さんで何回もICDで助かっていたのですが、移植してICDが要らなくなった。そのとき「私のICDを下さい」と言われてお渡しになった。大事に保存してくれるのかなと思ったら、次の外来で、ICDの真ん中をショットガンで撃ち抜いたICD持って来られたと聞いています。ものすごく両価的で複雑な感情がありますね。
近藤)
助けてくれるけど…
栗田)
こいつ大切だけどめっちゃ嫌いだ、みたいな。本当に大変な思いをしながら、患者さんは耐え難きを耐えながら突然死するのを必死で予防していたのが当時でした。
そういえば、そのころ初めて一次予防でICDを入れたことがあるんですよ。当時はまだ1次予防が広く認められていなかったのですが、DCMの若い40代の患者さんで非持続性心室頻拍が頻回で。突然死リスクが高いと判断しました。でも、すごくナイーブな方で、同僚は「ICDを植え込んだ後の精神的なフォローが大変だ」「精神的にショックに耐えられないんじゃないか」って反対もあったんですけど、適応に踏み切りました。その後、実際に心室細動に対する作動が何度か会って何度も救命できました。その方は我々の邪推とは裏腹にショックに必要性をよく理解され、十分耐えて、仕事に励んでいらっしゃいました。僕らの勝手な思い込みだったんですね。
「この人は精神的に弱い側面を持っているからICDを入れない方が良い」みたいなことは適応判断には入れてはいけない。小児もそう。小児科で薬剤抵抗性の心肺停止の既往のあるQT延長症候群の子がいました。我々大人が「こんな大きな機械入れてこの子、耐えられるのかな?大丈夫かな?」と心配していましたが、入れてみたら平気な顔して走り回ってるんです。「自分が死んだらお母さんやお父さんが悲しむから」と言って、全然受け入れていました。ある意味感動的でした。
この体験から、どんな方でも、僕らが勝手に「この人って入れないほうがいい」と考えるのはよくないなと。ちゃんと患者さんに提示して、ICDを植え込むか否かの判断は基本的にその意思を尊重します。
今はICDは小型・長寿命化が実現し、不適切作動や意識下でのショックも大きく減じられているので、患者さんのQOLは上がっているのが現在だと思います。